【連載】泣きのギター研究会(2) ゲイリー・ムーア
研究員1号:みなさんコンニチハ。先週から連載開始したこの「泣きのギター研究会」ですが、おかげさまでたいへんご好評をいただいております。
研究員2号:ありがとうございます!!
1号:いやぁ~、みなさん“泣きのギター”に関しては興味があるみたいですねー。
2号:嬉しいかぎりです。引き続き読者の皆様のご意見も募集しておりますので、下記の投稿フォームから応募してくださいね。興味深い投稿は掲載させていただきますよ!
1号:そうそう! 『ギター・マガジン12月号』(2008年11月13日発売)でも、付録CD連動企画で「哀愁を奏でろ! 泣きのギター入門」という記事をやっています。
2号:「蛍の光」を課題曲に“泣き”のプレイのコツを紹介しているんですよね。譜面とCD音源とでわかりやすい内容となっています。興味のある方はそちらもご一読くださいませ。
1号:さて、当サイトでの連載第2回目となる今回ですが……
2号:いよいよ、ギタリストやアルバムを取り上げるのですね。
1号:ハイ。最初にこの企画を考えたとき、周囲に“あなたにとって泣きのギターとは?”と聞いてまわりました。その際に最もたくさん名前が挙がったギタリストです。
2号:私もこのギタリストが大好きです。では、今回の“泣き原稿”もお楽しみください。
(文:近藤正義)
僕がこの曲を知ったのは1983年のことでした。それも何気なく立ち寄ったレコード屋さんのシングル盤コーナーです。そうです。この曲はなんとシングル・カットされていたのです。
まず、「パリの散歩道」という邦題にシビレました。アラン・ドロンの「愛人関係」、イブ・モンタンの「夕なぎ」、カトリーヌ・ドヌーブの「シェルブールの雨傘」といったフランス映画のタイトルを思わせる素敵なタイトル……まだ、この曲の作られた背景を何も知らなかった僕は、泣きのギターとこの邦題だけでとりあえず感動していたのです。
後から知ったことですが、これはゲイリー・ムーア&ヒズ・フレンズ時代のライブ・アルバム『ゲイリー・ムーア・ライブ』からのカットで、コージー・パウエルのアルバム『TILT』(81年)に収録された名曲「サンセット」とメドレーになった7分50秒にも及ぶ珍しいバージョンでした。しかも、歌詞がない完全なインスト・バージョンです。
この曲をえらく気にいった僕は早速コピーし、部屋でのけ反りながらギターを弾きまくったものでした。その後、1978年に発表されていたゲイリー・ムーアのソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』に既にこの曲が収録されていたことを知りました。そして、この曲に歌詞があったことも……。
■「パリの散歩道」収録CD

ゲイリー・ムーア
『バック・オン・ザ・ストリーツ』[紙ジャケット仕様盤]
ユニバーサルミュージック・ジャパン
このアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』は1977年春から約1年間にわたって少しずつレコーディングされ、1978年暮れにリリースされています。
その頃のゲイリーはコロシアムIIとシン・リジーの二股時代を脱出し、ようやくシン・リジーの正式メンバーとして活動しはじめた時期です。曲の作者にはなんとシン・リジーのリーダー/ベーシスト/ボーカリストにしてゲイリーの盟友、フィル・ライノットがクレジットされています。
そして、初めて知ったこの曲の歌詞……1949年のパリでの思い出……これは恋人とのロマンチックな想い出だろうか?と甘酸っぱい雰囲気に悦に入っていましたが、そのうちそのままではあまりにストレートすぎるこの詞に疑問を抱き始めます。
そこでフィル・ライノットについて調べていくと、この歌詞に隠された驚くべき事実を知ることになるのです。
歌詞の冒頭にある1949年とはフィル・ライノットの生まれた年であり、パリスというのはフィルの父親の名前だったのです。フィルの父親はブラジル系黒人の軍人で、アイルランド駐屯中に母親と出会っています。しかし、父親はフィルの顔を見ることなく帰国し、49年に生まれたフィルはその後父親と会うことはなかったそうです。
この事実を知ったとたん、それまで報じられていたフィルのあまりにも破天荒なロッカー然とした私生活と、全く相反するこの謎めいたロマンチックな歌詞が僕の中でつながりました。
この歌詞が思い起こさせる切ない情景は離れ離れになったフィルの両親の気持ちなのだろうか? あるいは会うことができなかった父親へのフィルからのメッセージなのだろうか?
さらにはフィルやゲイリーの故郷であるアイルランドの哀しい歴史までもがオーバーラップしてきます。これらをストレートに表すことなくパリの風景の背後に忍ばせたフィルの詩人としての才能にも敬服しました。
このように歌詞に隠された秘話によりこの曲の切なさは増幅され、ますます印象深いバラードとなってしまったわけなのです。それ以来、僕にとっては歌詞の入ったオリジナル・バージョンが定番となりました。
曲のコンセプトはフィル・ライノットによるものでしたが、サウンド面の立て役者はやはりギターを弾いたゲイリー・ムーアです。
マシンガン・ピッキングと呼ばれた速弾きと驚異的なタメを効かせたロング・トーンのコントラストが曲をさらにドラマチックに盛り上げています。その後、ゲイリーはライブ・アルバムやビデオで何度もこの曲を収録しており、年月を経ていまや彼にとっても、また彼のファンにとってもなくてはならない曲となりました。
さて、これだけならこの曲は70~80年代の名曲としてマニアなロック・ファンの間で聴き継がれるだけて終わっていたはず。しかし、時代はこの名曲・名演を放っておきませんでした。
まず、木村拓哉主演のフジテレビ系ドラマ「GIFT」での使用です。曲が誕生してから20年が過ぎようとしていた1997年のことでした。ここでこの曲は一部のロック・ファンのみならず、お茶の間にまで一気に知名度を高めることになったのです。当時「ドラマのクライマックスに流れたあの曲は何ですか?」と、たくさんの人から質問されたものでした(笑)。
最初にこの曲を聴いた40代以上のロック・ファンを第一世代とするなら、このドラマがきっかけでこの曲を知った30代の人達は第二世代ということになるのでしょうか。
しかし、2008年、さらにこの曲を10代から20代の第三世代、第四世代にまで広める出来事がありました。NHKが制作した画期的お笑いテレビ番組「サラリーマンNEO」の中で沢村一樹さんが演ずる名物コント【セクスィー部長】に使用されたのです。
一瞬で視聴者を虜にするセクスィー部長のキメのシーンで、これまた1音で人を泣かせるこの曲「パリの散歩道」……。ここまでくれば制作陣のセンスの良さに感激するやら呆れるやら…(笑)。
以上2つのテレビ番組での起用により、哀愁漂う名曲「パリの散歩道」は老若男女、あまりロックやギターに詳しくない人とでも話題を共有できるようになったわけです。
どのような形であれ、ひとつの曲が時代の洗礼を受けながらもずっと聴き継がれていくということはそれほど簡単なことではありません。この曲はその難関をクリアした数少ない例のひとつといえるでしょう。
作詞をしたフィル・ライノットが1986年に36歳という若さで他界してからもう20年以上経ちますが、ゲイリー・ムーアは今でもこの曲を演奏し続けています。
フィルが父親への想いを込めたのと同じように、ゲイリーは在りし日の友人フィルとの想い出を胸にこの曲を演奏しているのだと思います。そしてこの曲はこれからも多くの音楽ファンの胸を熱くすることでしょう。
[近藤正義]
【著者プロフィール】
近藤正義(こんどう まさよし)
音楽評論家/ライター/コンパイラー。
70年代のロック・ソウル・フュージョンを聴いて10代を過ごす。
その後は“聴く・見る・演奏する”の3拍子揃ったオールジャンルなミュージック・ライフを実践。連日原稿の締め切りに追われるのが快感という仕事M。
ジェフ・ベックを師と仰ぎ、コピーバンドWIREDを率いて活動中。
【本コーナーへの投稿について】
この連載では、読者の皆様の投稿も受け付けております。下記の「投稿フォーム」からお送りください。面白い投稿は掲載させていただきます。
※すべての投稿が掲載されるわけでありません。あらかじめご了承ください。
※たいへん申し訳ありませんが、掲載されても、原稿料も景品も出ません。
※本企画では、いわゆるブルースに関する“泣きのギター”の考察は除外しております(広範囲になりすぎるため)。
- [2008年11月11日 18:54]











