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70年代のカールトンの日本での人気

【第29回】ラリー・カールトン『夜の彷徨』とギブソンES-335(3)
高田みづえの1980年のヒット曲、「私はピアノ」の歌詞には、ラリー・カールトンが出てくる。
この曲を作ったのはサザンオールスターズの桑田佳祐で、オリジナルはサザンのアルバム『タイニイ・バブルス』(これも1980年)に収録されている。歌っているのは原由子だ。
桑田自身がギタリストでもあるし、歌詞にギタリストの名前が出てくること自体は不思議でもなんでもない。だが、それがあえてカールトンだったところに、当時の彼の人気ぶりを窺い知ることができると思う。
ここは、「ふたりして聞くわ、エリック・クラプトン」でも、「ふたりして聞くわ、ジェフ・ベック」でも、「ふたりして聞くわ、ジミー・ペイジ」でもなく、「ふたりして聞くわ、ラリー・カールトン」でなければならなかったのだ。
『夜の彷徨』、そして「ルーム335」から2年、カールトンはそれほどまでの地位を築いていたということだ。
ところで当時、TV番組『ザ・ベストテン』で高田みづえが「私はピアノ」を歌ったとき、お茶の間ではラリー・カールトンという名前にハッとして、ニヤリとした人と、誰だ、それ? と思った人の二手に分かれたに違いない。そう考えると、なんだか楽しくなる。ぼくはもちろんニヤリ派だった。
きっと高田みづえ本人は「?」だったに違いないと思うが……。
さて、野口五郎はもっとすごい。
彼は1976年にロサンゼルスへ赴き、カールトンを初めとする豪華ミュージシャンをバックに、『GORO IN LOS ANGELES, U.S.A./北回帰線』というアルバムを作っている。
そして同じ年に、『ときにはラリー・カールトンのように』というアルバム(同名曲も収録)も出しているのだ。
1976年というと、前回書いたスティーリー・ダンの『幻想の摩天楼』、クルセイダーズの『南から来た十字軍』がリリースされた年であり、『夜の彷徨』の2年前になる。
その時点でここまでカールトンをフィーチャーしている野口五郎は、かなりの嗅覚の持ち主だったと言えるのではないだろうか。
ひょっとしたら日本においては、野口五郎のこういう草の根活動(?)が、『夜の彷徨』へ向けてのいい地ならしとなっていたのかもしれない。
ちなみに彼の代表曲である「私鉄沿線」がリリースされ、大ヒットしたのは1975年のこと。彼の影響力は、今では想像できないほど大きかったのだ。
[続く]
[ラリー・カールトン 公式サイト] (英語)
[ワーナーミュージック・ジャパン - ラリー・カールトン 紹介ページ]
[ビクター エンタテインメント - サザンオールスターズ 紹介ページ]
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【著者プロフィール】
細川 真平(ほそかわ しんぺい)
音楽ライター。ギター誌、音楽誌、ムック等の記事を多数執筆。
ジェフ・ベック、スティーヴィー・レイヴォーン等、CDライナーノーツも多数手がける。『ギター・マガジン』誌では「ロック・レジェンド紳士録」を連載中。
- [2008年05月30日 19:39]










